何か頭がぐるぐるで疲れてます。
リアルで発言するとタダの嫌な奴になって生きにくいのでブログで言いたい。
俗的に言う頭の良し悪しと高い知能が考える頭の良し悪しの違いについて書いてみる。
「俗的に言う頭のいい人=勉強が出来る、学歴が高い、職位が高い。」
だと思うし、多くの人がそうだと思ってるはず。
実際にうちの親とか友人、知人から出てくる頭のいい人達の定義は学歴や職位で決められている。
「高い知能から見た頭のいい人=思考が柔軟で凝り固まっておらず、点と点が解れば答えの解る人。」
である。
おそらく私の年齢が10才くらいであればIQ170以上は俗的にも天才の域であるが、歳を取るとあまり関係が無くなる。というのも一般的な人は頭の良し悪しの基準を自分で設けてしまうので本質を見失うからだ。
ちなみに私は低学歴、低職位、低収入なので頭の良し悪しを判断される基準にすら満たない。
履歴書だけで判断するなら単なるアウトローでしかない。
IQ記載欄とか無いし、わざわざ書いても何の意味もない。嫌味でしかないしそこだけで評価されても過剰な期待を持たせるだけで逆にやりにくい。
さて、柔軟性とは何か?
先入観で物事を捉えない。
持ってる知識が全てだと思っていない。
新しい価値観や流行、テクノロジー、ロジックに対しての受入口が広い。
ザックリとこんな感じ。
点と点が解れば答えが解る。というのは
点と点を結ぶ線を自ら導き出して繋げる事が出来き、話を100%聞かなくても結果を予測し自己消化して理解出来る。
という事である。
私が思うにあらゆる事柄を簡潔に簡略化出来る人は頭の良い人間だと考える。
やたら小難しい言葉を並べて長々とダラダラと説明するのはその本質を理解していない人の方が多い。
説明資料一つ作るにしても賢い人が作るものはシンプルで短い。
そうでない人の資料は複雑で要点を抑えていなかったり、短くても要点を抑えていなくかえって解りにくい。
形式的にボリュームを持たせる為に必要の無い情報を詰め込む傾向にあるからだ。
例えば私の説明は非常に短い。
あえて難しいアルゴリズムを書いて見せても理解出来る人はそんなにいない。
ならば理解出来る範囲の説明だけあれば良いのだ。
勉強を沢山して来た人達は難しい資料を求めたがる。
それは彼らに取って教科書の様な物だから詳細に説明されている物を読む事が大切だと思い込んでいるからである。
私も過去にいくつかの論文を書いた事があるが、余りに簡潔すぎて読む側にはそれを理解する為に間の線を引く作業が必要になる様だ。
とある大学教授と量子力学の話をした時も私の考え方は逸脱しすぎている。と非難された経験すらある。
だから難しい資料も説明もない。
セミナーで登壇するのも嫌いだ。
90分もテーマについて話す物などない。
ぶっちゃけ30分もあればテーマについての解説は終わってしまうから間が持たないのでね。
2/3が蛇足、余談、冗談になるセミナーは主催が求める「勉強会」とは異なるのでやりにくい。
逆にワークショップは好きだ。
遊ぶように学べる空間を提供すればいいだけなので気軽に参加して貰える。
また最近もセミナーという授業を求められるが全て断っている。
ツマラナイから。
でも来月からワークショップは再開する事にした。
得る物が何であれ楽しんで帰って貰えればそれでいいのでね。